テストは100点を目指させる

2011/07/05
テストってのを学校ではします
教師とすれば、それは評価テストであって、その時間の「授業意識」はないような
(もちろん授業時間としてのカウント(教育委員会への報告)はするのですが)

それってちょっとおかしいんじゃないか、そう感じます
初任さんには「テストも授業として成立させよう」ってことを言ってました

それには子どもに、テストでのめあてをもたせること
それ以外にありません。 
◇テストは必ず予告をする、適当に詳しく、
 子どもが予習というか復習ができるように
◇直前にはこう話します
 「いいかい、目指すのは100点だよ。みんななら必ず100点がとれる。
  みんな習った問題だ。よく読めば必ずわかる。思い出せる。
  必死に記憶の引き出しを探しなさい。頭の中のどこかの引き出しに必ず答えはある。
  絶対100点をとるんだと思いなさい。強く願えば、必ず叶う」

めあてというか、モチベーション、子どものやる気、挑戦意欲の引き出しということでしょうか
そこを与えてあげることができれば、子ども達は目を輝かせ、頑張ります。
これでもう授業と同じです。目指すことをもって真剣に取り組む、すなわち授業です。

でも、言うまでもありませんが全員100点なんて叶うことは滅多にありません。
(授業の漢字豆テストで全員が満点という経験を積ませることは必要かも知れません)
そこで、テスト返しの時にこう話します
「みんなよく頑張ったね。このテストで100点をとりたいっていう気持ちは
 丸付けをしていて良く伝わってきたよ。
 しかし、残念ながら全員100点ではなかった。
 でもね、本当に大切な事、一番大切なことってのは
 “同じ間違いは繰り返さない”ってことなのさ。」
 
この子ども達も残念ながら将来、数々の試験に直面する。
全力が出せるように、今のうちから鍛えておく。
あきらめムードのぼーっとした眼差しで試験に向かわせるのは
そりゃその子の将来、ひいては日本の将来にも関わるのです。

「ハイ、始め」「ハイ鉛筆を置いて!」なんて
学校の授業ではありません。



追記:折角の機会なので、私がテストに関して心がけていたことを
①テストは必ず予告する、予告してないテストは止める(信頼関係が崩れる)
②1日3枚以上のテストはしない(親の信頼を失う)
③「テスト3日」といって、3日以内に返す
 (これ以前私自身が子どもと約束していたもの、子どもからの提言がもと)



チャイムを鳴らせ

2011/07/04
久しぶり 小出しに小出しになんて言っても こりゃサボりだな

さて、もし小さなチャイムがあればつけたいなあと思うのです。
twitterでは以前紹介したのですが、元教員のなごりで
1日をam8時からpm6時まで2時間ごとの5工時に分けて工房活動し
その計画と記録をつけているのですが・・・

学校は、いつの頃からか「ノーチャイム」などという流行があり
毎時定刻に鳴らす学校は少なくなりましたねえ
7年前になりますか 野s教頭さんが
「どうして文明の利器を活用しないのかねえ」
とおっしゃったのが忘れられません。全く同感。

「ノーチャイム」聞こえは良いけど
それは、教師側の御都合主義に他ならない
だからご覧なさい
1校時開始時刻になっても、朝の歌だの朝から説教だの横行です。
子どもには「時間を守りなさい」、今月のめあては時間を守ろうです、
なんていっても、お隣は2校時途中で5分休みになるわ
「悪いね、ここまでやっちゃおう」なんて授業時間を延ばすわ
全く教師に都合の良いようにある「ノーチャイム」

私は、「授業は45分で勝負するもの」「何が何でも開始時刻は守る」
そう初任さんには指導してきました。
じゃあお前は担任してたときはどうだったんだよって言われそうですが
「ノーチャイム」が横行し始めてからは、意識はしてましたけどねえ。

45分ごとチャイムを鳴らす。
これは学校にとって必要不可欠なものだと思うのです。
もし、鳴らなくても、教師は開始と終了の時刻を守る、
その姿勢は、子どもに見せなくては
時間を守れ、なんて子どもに言えないでしょう。

ま、今の工房生活では堂々と言えないけど・・
ここは学校じゃないもんね。

大事なことは小出しに、小出しに

2011/06/25
いきなりですが日付を入れようと思います
前回が6/10でしたから、2週間以上間が空きました
自分への戒めでもあります

だいたい私は書き始めると長くなる、という傾向にあるって言えると思います
これは血液O型「知ったかぶる・長く書けば誰かに褒めてもらえる」の特質かも
(twitterに血液型botさんというのがいて、それにはまっているので・・・)

大切なのは「大事なことはいっぺんに出さないで小出しにする」ってことなんだ

その昔、まだ土曜日が授業日であった頃のことです
私は当時社会科の研究部会にいて、研究授業をぶつということになりました
(中略)
「今日の授業はダメだろ、チャイムオーバーも甚だしい」
「だいたいお前の授業は、お前がしゃべる時間が多すぎ」
「そりゃ大事なことを分からせようとする熱意は必要、でもそれで伝えられたのか」
「いっぺんに話されても、結局何も伝えられていない」
など話し合いがあり、結論らしきことは

「大事なことはいっぺんに出さないで、小出しにするべき」ってこと

後日(随分後のことですが)
敬愛する築地久子さんが偶然同じことを
「授業では自分の出番を意識する。いっぺんに自分の考えをさらけ出さない。」
っておっしゃっているのを読んで感動しました
彼女は、このことを子どもにこう説明してます
「あなたの話は桃太郎が最後には鬼退治をするって言っちゃってる訳よ
 そうしたらお話は終わりになっちゃうでしょ
 大事なことはひとつひとつ小出しにするの」

なんかそれがこの記事と結びついているのか分からなくなってしまいましたが
私は性格上、記事を書くとなると、もう連チャンでバシバシ状態
それを改めようという、ただの言い訳だったのです

でも、この「大事なことは小出しにする」って、結構深いですよね



あいさつの意味

twitterで、挨拶のことをつぶやいていて
おおこれブログの記事になるなとやって来ました。

「やって来た」って面白い言葉 おう、それより「帰ってきた」の方がいいかな
私には、日常という現実と、そこで考え頭を巡らし思いついた言葉の世界twitterと
ここ、昔のあることないこと文章化する世界Blogとある。
それぞれの世界を飛び回るのは楽しい
って、これどこかと言えばtwitterの世界だ。ここはBlogだ。

昔学級担任現役のころ、朝教室には誰もいなくても
「オハヨー」と明るく笑顔で元気よく言って入ろうと約束していました。
別に張り付いて見ているわけではありません。でも、
「挨拶上手な子は?」と聞くと、推薦される子は100%良い子
そんな子を「ホラね、挨拶上手な子は笑顔も素敵な子だろ」
なんて褒めていれば、挨拶は伝染するものだと信じていました。

しかし、今朝、twitterで「おはようございます」の意味は?ってことになり
そういえば現役の頃、子どもに「おはよう」意味を話したことなかったなと反省したのでした。

養老猛さんの講演で「普段気にもかけずに使っている言葉、その意味を改めて考えてみることは重要」
と言ってたとかいうサイトの記事を見て
「なるほどなぁ、意味が分かっていて使うのと、何となく使っているでは、違いは大きいだろう」
改めて考えてしまいました。

挨拶は大切、そんな意識はいつも持っていたのですが
どうも廊下で会う子にいちいち「こんにちは」と言われるのは鬱陶しいなぁと思っていました。
でも、「今日も良い日ですね」「ご機嫌いかが」というような
「おはようございます」とは違う意味の声がけなんだと思えば、
決して鬱陶しくはなく、億劫ではなくなる。
そうだなぁ、結局大人の理論で、「会釈」にしようと言っていたんだと
今更ながら思うのです。
会釈は声より難しいって気付いていたのに。


初任研で学校巡りをしていましたが、
廊下で「こんにちは」と挨拶をくれる子が多い学校は
私の目には、落ち着いていて問題の少ない学校と映りました。
「ハイこんにちは」「おう良い挨拶だね」「良い笑顔だよ」とか
お返しだって、慣れればそんなに億劫ではないし。

実際、問題の多い学校は、挨拶のあの字もなく
教師の存在など気にもかけずに、そばを走り去る状態でしたから。

でも、私は旅人教員で、その場だけで、実情など深く気にかけない人でした。
これは勝手なうがった見方だと承知はしているのです。





授業はいつも上機嫌

スクールアーティスト、自らをそう名乗り、
「教師が楽しめないで、どうして子どもが楽しめるか」
とおっしゃる井出良一さんが大好きです。

斉藤孝さんの「授業はいつも上機嫌、ただ意味も無く」という教え。
武田会長はこれをたいそう気に入られて、私財を投入されそのTシャツを作られた。
斉藤孝さんの講演会で、そのTシャツをプレゼントし、ハグし合っていた場面
今も忘れられません。

「先生の授業は面白い」と言われるとすれば
それは、上記2つのプリンシパルが備わっているから。
「学校は楽しいところでなければならない」
そうだとしたら、その2つのポリシーは教員に必須の条件。

ただねぇ、私の場合「上機嫌」と「不真面目」が表裏一体になっちまうから、
オヤジギャグと一人ノリツッコミで、「面白い」と言われても
それは、「楽しい」とはちょっと違うものかも。

でも、授業のどこで、子どもと一緒に楽しむかはいつも考えていました。
だから、「まじめに」「一生懸命」「説明をしている」だけの授業には
負けることはないと思うのです。

ほらほら、「授業で勝つ負けるなんて不謹慎」なんて思うあなた。
違うのですよ、
「教師は授業で勝負する」(by斎藤喜博)のです。




プロフィール

923kobo

Author:923kobo
1957/3生 
群馬県邑楽町在住 
20代に作陶修行後、
栃木県教員生活を経て
再び作陶家を目指す

本邦初 焼きものの
移動販売始めました
毎月1日・17日
第1日曜・他
 地元邑楽町
 石打こぶ観音様境内

月~金曜:工房にて作陶
週末は
<青空個展>主催の
 東京都内のイベントや
高崎・藤岡辺りのイベント
または上記の
こぶ観音様出店

2月/8月には
洋画家の友人と
『二人展』を開催

コンセプト:
「うつわも楽しむ文化のため
 の楽しめるうつわの制作」

趣味:jazzを工房にかける
   on twitter「923工房」
   男の厨房
   愛犬ラブと朝散歩

「仕事が暮らし、
  暮らしが仕事(^^)」

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