大事なことは小出しに、小出しに

2011/06/25
いきなりですが日付を入れようと思います
前回が6/10でしたから、2週間以上間が空きました
自分への戒めでもあります

だいたい私は書き始めると長くなる、という傾向にあるって言えると思います
これは血液O型「知ったかぶる・長く書けば誰かに褒めてもらえる」の特質かも
(twitterに血液型botさんというのがいて、それにはまっているので・・・)

大切なのは「大事なことはいっぺんに出さないで小出しにする」ってことなんだ

その昔、まだ土曜日が授業日であった頃のことです
私は当時社会科の研究部会にいて、研究授業をぶつということになりました
(中略)
「今日の授業はダメだろ、チャイムオーバーも甚だしい」
「だいたいお前の授業は、お前がしゃべる時間が多すぎ」
「そりゃ大事なことを分からせようとする熱意は必要、でもそれで伝えられたのか」
「いっぺんに話されても、結局何も伝えられていない」
など話し合いがあり、結論らしきことは

「大事なことはいっぺんに出さないで、小出しにするべき」ってこと

後日(随分後のことですが)
敬愛する築地久子さんが偶然同じことを
「授業では自分の出番を意識する。いっぺんに自分の考えをさらけ出さない。」
っておっしゃっているのを読んで感動しました
彼女は、このことを子どもにこう説明してます
「あなたの話は桃太郎が最後には鬼退治をするって言っちゃってる訳よ
 そうしたらお話は終わりになっちゃうでしょ
 大事なことはひとつひとつ小出しにするの」

なんかそれがこの記事と結びついているのか分からなくなってしまいましたが
私は性格上、記事を書くとなると、もう連チャンでバシバシ状態
それを改めようという、ただの言い訳だったのです

でも、この「大事なことは小出しにする」って、結構深いですよね



あいさつの意味

twitterで、挨拶のことをつぶやいていて
おおこれブログの記事になるなとやって来ました。

「やって来た」って面白い言葉 おう、それより「帰ってきた」の方がいいかな
私には、日常という現実と、そこで考え頭を巡らし思いついた言葉の世界twitterと
ここ、昔のあることないこと文章化する世界Blogとある。
それぞれの世界を飛び回るのは楽しい
って、これどこかと言えばtwitterの世界だ。ここはBlogだ。

昔学級担任現役のころ、朝教室には誰もいなくても
「オハヨー」と明るく笑顔で元気よく言って入ろうと約束していました。
別に張り付いて見ているわけではありません。でも、
「挨拶上手な子は?」と聞くと、推薦される子は100%良い子
そんな子を「ホラね、挨拶上手な子は笑顔も素敵な子だろ」
なんて褒めていれば、挨拶は伝染するものだと信じていました。

しかし、今朝、twitterで「おはようございます」の意味は?ってことになり
そういえば現役の頃、子どもに「おはよう」意味を話したことなかったなと反省したのでした。

養老猛さんの講演で「普段気にもかけずに使っている言葉、その意味を改めて考えてみることは重要」
と言ってたとかいうサイトの記事を見て
「なるほどなぁ、意味が分かっていて使うのと、何となく使っているでは、違いは大きいだろう」
改めて考えてしまいました。

挨拶は大切、そんな意識はいつも持っていたのですが
どうも廊下で会う子にいちいち「こんにちは」と言われるのは鬱陶しいなぁと思っていました。
でも、「今日も良い日ですね」「ご機嫌いかが」というような
「おはようございます」とは違う意味の声がけなんだと思えば、
決して鬱陶しくはなく、億劫ではなくなる。
そうだなぁ、結局大人の理論で、「会釈」にしようと言っていたんだと
今更ながら思うのです。
会釈は声より難しいって気付いていたのに。


初任研で学校巡りをしていましたが、
廊下で「こんにちは」と挨拶をくれる子が多い学校は
私の目には、落ち着いていて問題の少ない学校と映りました。
「ハイこんにちは」「おう良い挨拶だね」「良い笑顔だよ」とか
お返しだって、慣れればそんなに億劫ではないし。

実際、問題の多い学校は、挨拶のあの字もなく
教師の存在など気にもかけずに、そばを走り去る状態でしたから。

でも、私は旅人教員で、その場だけで、実情など深く気にかけない人でした。
これは勝手なうがった見方だと承知はしているのです。





授業はいつも上機嫌

スクールアーティスト、自らをそう名乗り、
「教師が楽しめないで、どうして子どもが楽しめるか」
とおっしゃる井出良一さんが大好きです。

斉藤孝さんの「授業はいつも上機嫌、ただ意味も無く」という教え。
武田会長はこれをたいそう気に入られて、私財を投入されそのTシャツを作られた。
斉藤孝さんの講演会で、そのTシャツをプレゼントし、ハグし合っていた場面
今も忘れられません。

「先生の授業は面白い」と言われるとすれば
それは、上記2つのプリンシパルが備わっているから。
「学校は楽しいところでなければならない」
そうだとしたら、その2つのポリシーは教員に必須の条件。

ただねぇ、私の場合「上機嫌」と「不真面目」が表裏一体になっちまうから、
オヤジギャグと一人ノリツッコミで、「面白い」と言われても
それは、「楽しい」とはちょっと違うものかも。

でも、授業のどこで、子どもと一緒に楽しむかはいつも考えていました。
だから、「まじめに」「一生懸命」「説明をしている」だけの授業には
負けることはないと思うのです。

ほらほら、「授業で勝つ負けるなんて不謹慎」なんて思うあなた。
違うのですよ、
「教師は授業で勝負する」(by斎藤喜博)のです。




バツをつけない教育

かく言う私も、しばらく前は「赤本教科書」(赤字で指導のポイント・内容が書いてある教科書)
に頼らなければ、ろくすっぽ授業も出来ない未熟バカ教員でした。

20年前故・加藤信二校長先生に出会って、変わったって言っていいと思います。

「あんたなら、子どものこの答えをどうする?」
「ええ、コレは間違っています。だからバツをつけると思います」
「そうなんだよなぁ、確かに間違っている、でも、
 だからといってバツを付けても、この子は伸びるかねぇ」

結局、そういう加藤先生の考え方、教師としての意識の持ち方を
私は彼からたくさん学ばせていただきました。

赤本は、教科書会社から依頼されたその辺の馬骨・・
いやその手の実力はある教員がバイトで書いているもの、でも、
それになれると、「それこそ正解」という意識が生まれ、
そこから離れられなくなる。異なるとバツを付けたくなる。
そういう魔力が赤本にはあり、頼りすぎると堕落する。

そのとき以来、赤本とは90%サヨナラ
「おう、その答えいいなあ、その答え間違いって言われるかも知れないけど
 その答えには美しさを感じるなぁ、それこそWonderfulだよ!!」
そう言えるようになるのです。

さて、加藤先生の「バツはつけない」という教えも
そのとき以来心がけていました。
とはいえ、ついついバシッとはねてしまうことはありましたが。
しかし、バツをもらって喜ぶ子はいない。
その答えの良いところ探し、そこにラインでも引いてGood! とでも書いてあげれば。
すると、分かるとこまでは書いてみようという姿勢も生まれてくるんだと思います。

バツをつけない教育、加藤先生の大切な教えでした。


「しかしなぁ、オレが見に来る日の授業なのに、よくこんなつまらない授業をするなぁ」
初任指導担当だった頃、思うことはありました。
そんなときには、正直に「つまらない授業だった」って書く。
「この授業のどこで子どもと楽しもうとしているのか」
まあ、コレはバツをつけたってことではないのですが。



「いいかい、絶対転ぶなよ」 は魔法の言葉

私の指導の(それは対子どもにしても、対初任者にしても)
基本にあるのは「意識のもたせ方」

昔、体育の準備運動での段階から、走っていて転ぶなどのケガに悩まされていたとき
先輩から「いいか、絶対転ぶなよ」というのが魔法の言葉と教わり
確かに「絶対転ぶんじゃないよ」としっかり言うと
ウソのように「転ぶケガ」は無くなった、という事実。

これは、アーサーワードさんの“The great teacher inspires.”
に通ずるのだ、なんていい気になっていた罰か
今日、給食当番の大食缶をぶちまけてしまいました。
「いいかい、しっかり持って、絶対落とすなよ」
が、魔法の言葉と、ちょっと浮かれていたところもあったかも・・

周りにいた子や先生は、私が怒りもぶちまけるのでは
とすごく気を遣ったこと感じました。
でも、ご心配無用。
「だから言ったでしょ!!」という言葉は、大村はま先生の言葉通り
絶対禁句、言ったら教員辞める。と心に誓っていますので。

といっても、言ったから辞めたわけではありませんけど・・・




感想を比べる・・・・そして「実感」

以前に「人の言葉・文章の中に自分を育てるキーワードをみつける」がプリンシプル(主義)
と書いたことがありますが、それが故に
築地久子さんや井出良一さん、斎藤喜博先生たちの教育実践を紹介した本は
もうラインや丸囲みだらけ。
築地久子さんの本がセコで1万以上するのなら、私も出品したいと思うのですが、
とてもとても見せられる読める状態ではありません。

1度目はただ先入観無しで読む、2度目はホホウと思ったところにライン、丸囲み
さらにそれをノートに書き出そうとすると、本当に精選されている
そんな読み方は、はやり元教員の呪縛なのかも知れません。
ただ、気に入った書物を読むって時には、そうしないと、
自分を育てるキーワードは、私にはなかなか見つからないというのも事実です。

今日、また機会があって、光村の国語教科書を見たのですが、
おいおい、勘弁しろよ、そこまで言うか?指示される覚えはねえぜ
ってところが目に付きますね
でも、きっとこの編集者は魚座のO型、
なにかこだわりをもっている、同じ臭いを感じてしまいました。

しかしね、そのままでは、昔NG出された「教科書を教える」になってしまうのでは・・
なんか違うんだよなぁ と・・でも、そんなことを言う立場にないのですが・・


今日は説明文の「感想を書く」という授業だったのですが、
思い出しました、国語の指導、物語文でも説明文でも
この「初発の感想」と「学習後の感想」を比べる学習が一番効果的。
同じ5分間で書かせても、ほぼみんな学習後の感想の方が、長く深い文章です。
そこをほめてあげる。
「みんな偉いねぇ、自分でも気がつかないうちに深く良いところに目がつけられているんだ」
なんて、煙に巻くような言葉でも良い。
『確かに初めの感想より文の量は増えた』
その実感が、国語の力を上げることは間違いない。

曖昧な読み取り、教師も訳が分からなくなって
赤本(教科書会社の赤字入り教科書)に頼らなければ授業が進められなくなる。
知ったかぶった板書、意味のない視写。汚い字のノートをただ叱るだけの教師。
それで国語の力がついているのか、きっと教師も疑心暗鬼。
そんな授業からは、やっぱり抜け出したいですよねぇ。



「なりたい自分になるために」 あぁ良い言葉

「なりたい自分になるために」 良い言葉ですよね。

初めてこの言葉を聞いたのは、娘の小学校時代。
毎年同じカードに、なりたい自分(夢)を具体的に書かせているのです。
1~6年生になるまで、同じカードに。
こりゃ宝物になりますよ。とても感心してました。

いつかパクってやろう、という気持ちをもちながら、
たしか平成17年度あたりだったでしょうか、
「今度小学校にもキャリア教育を採り入れる。
 平成20年度には各小学校きちんと校務分掌に入れて教育活動に取り組むことになる」
と県の会議で聞いてきた私は、校長に是非その理論構築をさせて欲しいと名乗りました。
“とうとうその時が来た”

その時にまとめた「キャリア教育計画」は、私の企画レポートの中でも
1,2位を争うものだと自負するのですが・・・
 「キャリア教育」で、子ども達の“今の自分”に考えさせ、
 “将来の自分”をえがかせる時間を設定する。
 そして、えがいた将来の自分になるために、
 今、自分は何をしたらいいか、どの学びを大切にしたらいいかを
 「つなげる」学習が、「キャリア教育」である。
まあ、ちょっと稚拙なところはありますが、
その意識こそ、子ども達を変えることになる、と考えて
いよいよ娘の小学校のカードのパクリ。
「なりたい自分になるために」(子どもにもグッとくる言葉)を指標にして
そのカードを作成!!

まっ、だいたい自己満足だろ!と言われれば、そりゃあO型の私ですから
その通りなんですけど。

でも、もうやってないでしょうねぇ。
だって、異動引き継ぎの時、きちんと翌年の計画立てていたのに、
次の担当者の言葉
「これやんなくちゃダメですか」

さらに平成23年度になる今も、あの県の担当者の言葉(きっと文科省の伝達)
まるでなかったような情勢。
あ~あ、ガッカリですよね、日本の将来をChangeできる可能性があったのにねぇ
「キャリア教育」カッコ良い言葉だけに、カッコだけで終わりました。

なんかオチになっちゃったけど、
「なりたい自分になるために」
子どもだけでなく大人ももつべき意識だと
今でも思っているのです。

あっ、実行してるか。エライ!! お前は有言実行だよなぁ。




師弟同行 という考え

師弟同行・・
どうして教師である大人の私が、としわもいかないこんなガキどもと
っていう考えは若い頃ありました。
だから、当番活動(清掃・給食・日直etc.)でも、「やれ」というだけ。

教職10年目にさしかかろうというあたりでしたか、
故・加藤校長先生と出会いました。
先生は、国語算数はもとより特に図工・体育に堪能で、よくおっしゃっていた言葉
「いやー、俺はさ、子どもにやらせることは、自分でもたしなむんだよ」
そして話をつなげるんです。
「ウチの学校の“師弟同行”という理念も、そういうことなのさ。
 やらせることは自分でもやってみるんだよ」

結局、子どもに指導することで、自分がやったことがあるかないかの差は大きいということ
なのでしょうか。当時は、なんとなくレベルの理解でしたが、
聞いたときにはひどく感動したことを覚えています。

話を戻しますが、私は、この師弟同行は当番活動でこそ大切なことなんだと思います。
清掃なら、同じ格好をして(帽子をかぶり)、
 
  そうそう、よく話の飛ぶ私ですが・・
  教職3年目で初めてもらった主任:清掃指導主任
  始めに手を付けたのが「清掃時なぜ体育帽を被らせるのか」でした
  (その研究・略)
  それは、結局、共同意識の醸成
  「今ボクはみんなと一緒に働いている」の意識なのだ、と結論したのを覚えています。
  しかし、この清掃指導が、市の教育計画に一言も言及が無いことに怒りを覚え、
  考えてみればその頃から市への信頼を無くしていたのかも知れません。

清掃なら、子どもと同じようにかぶり物をし、ほうきを手に持ち、
給食なら、身支度(エプロンとかぶり物:清掃と同じはNG)をし、
日直の仕事の黒板の(ののの)上の方は消してあげたり、
そうやって、同じ格好をしながら、
「これはこうする方がいいね」という方が、すごくすごく効果的
それが師弟同行なんだと思うのです。

一事が万事、そうすることができる教師は、良い教科指導もできる。

当番の前で、身支度もせず、腕を組んで、つばを飛ばしながら
「そうじゃないだろ!何度も言わせるな!!」
なんて叫ぶ教師は、 『やめてほしい』 と思うのです。
 

号令のお話

授業の始まりには、やはりこだわるべきと思うんです。
やっぱり導入で子どものモチベーションを上げてやらないと・・と。

昔から授業始まりの号令のとき、「お願いします」って言われるのが(言わせるのが)
すんごく嫌で、初任研で時々授業させてもらうクラスでも、そう言われると
「えっ?何をお願いするの?」って聞く。
いろいろなことを答えますが、一般的なのは「教えてもらうから」かな・・
もう始めから「受動」じゃモチベーションなんて上がりっこない。
授業で「自主性」を育てようとしなきゃ、どこで子どもの自主性は育つのか
まさに「オレ達で学び合おう」って授業に、始めから「よろしく教えてください」なんて

中には教師も「お願いします」と返す。あぁ、コレは納得。
「ほうほう、みんなは私の大事な飯の種だからね」ってこと・・・
な訳ないじゃん。

でも初任さんには、気に入らないとは話すけど、止めなとは言えない。
だってそこの先輩たちも使ってるんだもん。
まあ、「何かを始める前にお互い向かい合って“お願いします”は
 日本の武道の伝統文化ですからねぇ、日本の文化を教えて、日本を愛する子を育てる
 それも大きな教育の目標」
ってお茶を濁した。

ある先輩の授業の号令、これがbestと思ってきた。
日直:「これから、○時間目の算数の勉強を始めます」
みんな:「始めましょう」
教師:「では、始めよう。―前の時間にさぁ・・・」
です。
終了は「これで算数の勉強を終わりにします、礼」です。

まあ、押しつけることはしないけど、
な~んも考えずに授業の号令をかけさせるってのは、止めたた方が良い。
いずれその子ども達が成長して、社長にでもなると、
も~だらだらと訓示でも垂れるような、会社を潰す人になる。(大袈裟か)

思い出したこと一つ
私も、パソコン室でのコンピューターを使った授業では
始めパソコンに向かって「お願いします」と言わせていました。
「お前に教えてもらうことたくさんあるんだ、よろしくな」の意です。

話はついでだからもう少し。
挨拶の中で、一番大切な挨拶は?って聞かれてどれというか
たしか尊敬する加藤校長から問われたことだったと思う
それは、「いただきます」と「ごちそうさま」
私も、この挨拶だけは厳しく。
ろくに言わずに食い始めると必ずやり直し。
そうそう、思い出した。学級担任終盤の時には
「5432いただきます」って。また「1234ごちそうさまでした」とも。
「みんながこの給食をいただくまでには5人の人たちにお世話になっている。
 まず、この食材を作ったお百姓さん・・」
という多少こじつけで、感謝の挨拶なんだという意識付けでした。

でも、給食は楽しく。
でも、実のところ、騒がしいガキどもと食べるより、
わきまえた大人といただく職員室での給食の方が好きでしたが・・(( ^。^)サ^^

もう一話。
もう20年も前、キウイという果物が給食に初登場したころ
「何だよ、お前これ食わないのかよ」
「なにこれ?獣の足みたいでオレ食えない」
給食の話というと思い出す。 あいつ、食えるようになっただろうか・・・・


プロフィール

923kobo

Author:923kobo
1957/3生 
群馬県邑楽町在住 
20代に作陶修行後、
栃木県教員生活を経て
再び作陶家を目指す

本邦初 焼きものの
移動販売始めました
毎月1日・17日
第1日曜・他
 地元邑楽町
 石打こぶ観音様境内

月~金曜:工房にて作陶
週末は
<青空個展>主催の
 東京都内のイベントや
高崎・藤岡辺りのイベント
または上記の
こぶ観音様出店

2月/8月には
洋画家の友人と
『二人展』を開催

コンセプト:
「うつわも楽しむ文化のため
 の楽しめるうつわの制作」

趣味:jazzを工房にかける
   on twitter「923工房」
   男の厨房
   愛犬ラブと朝散歩

「仕事が暮らし、
  暮らしが仕事(^^)」

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