固定からの脱却 子どもの可能性は大きい

twitterの方で親の死に目のつぶやきをみて
私ももう30年も前に亡くなった母のことを思い出しました。
良い母で、大人になって思えば立派な人だったとつくづく思うことがあります。

中学3年の時、コックになりたいと相談したとき、反対もせず
「人はいろんな可能性を孕んでいるんだ」って話してくれたのを覚えています。
結局「お前、高校出てからでも遅くないだろ」との担任の説得で・・
もう高校に入っちゃうと消えちゃいますよね。
大学出て「焼きものや」になりたいと言ってたときも反対はしなかったし、
「人間の孕む可能性」ってのをすごく認めていたんだと思います。
まあ、結局教員採用に合格したと報告したときの、頷いた笑顔が一番でしたが。

出井良一さんは言ったそうです
「子どもの内なる力を信じ、その可能性を信じること」
母のことがあったので、彼のこんな言葉も染みるのかも知れません。

「1年生だから分かるはずがない、2年だからこの程度でいいと決めつけないで、
 難しい言葉や英語をどんどん使う」
「発達段階ということにとらわれていては、子どもの自由な世界を共有できない。
 何歳だからという固定からの脱却」
1年生のクラスで、モーツアルトを歌い、ベートーベン歓喜の歌をドイツ語で歌う
「子ども達はその音楽から逆にエネルギーをもらっているんでしょう」

彼の言葉は、母の「人はいろんな可能性を孕む」にダブって
宝石のように思えるのです。


初任者指導のお役にいた時
彼の教えを実証するようなことがありました。
山B小のWさんは、初任で1年生を担任。まぁ力のある子でしたが。
彼女の音楽の時間、やりよるんですよ音感とリズム感を鍛える(楽しむ)ゲーム
♩♫♪♪~♬てな調子のやつ。彼女が弾くオルガンの音を聞いて、子ども達がドレミで歌う。
多くの子が、元気よくドレミで歌いよるんですよ。感動(; ;)ホロホロ

横峯さくらの叔父の“よこみね”さんが、自らの幼稚園で
絶対音感を身につけさせる指導をしていましたが、それをほうふつとさせる。

絶対音感は3、4歳くらいまで って話を聞いたことあるんですが
それこそ出井良一さんにしかられてしまいそう。「固定に縛られるな」って
Wさんはそれを示してくれました。
♩タン タタ タン タタ タタタタ ターンタタ タタタタターントタタタ・・・・・ なんて難しいリズムも! スゴイ!!!

私が彼女にやってみ、って言った訳じゃ無いですよ。
ただ彼女、紹介した出井良一さんの本、買ってましたねぇ
たく、初任のくせにこの俺様を感心させて・・・・くれてありがとね。



こんなBlogの記事よりも、twitterのつぶやきの方がためになる

標題のように感じた1日
新しく「勉強しろbot2」のフォロアーになったら、
こいつ(botだけど運営者)のツイート(つぶやき)、けっこう染みる
皆さんもtwitterのアカウントもって、twitterしてる人のつぶやき聞いてみると良い
一流企業のCEOから脳科学者、精神科医、経営コンサル、女子大生から一般社会人、
みんな本名で、自分の立場を明らかにして、裏付けのあるつぶやきをしてる
面白い。世界が広がる。間違いなく。
でも私は血液型botや長谷川平蔵bot、上記の勉強しろbotなどbotさんが大好きだけど

さて、教育の目標は何か、なんてこともtwitterを見てると考えてしまうのです
あなたは、それは~だ、なんて言えますか?
私は、決まり切って「人格の完成」ってくらいでした、意味も分からず・・

築地久子さんに出合って(本で)変わりました。
「何のために子ども達の前に立つのかって、それは子ども達の自主性を育てるためだよ」
「子ども達の自主性とは、言い換えれば“子どもに自己有能感を与える”こと
 “ああ、アタシも結構やるもんだ”ってこと」

自主性って言葉は昔から意味の深いことでよく分からなかったって正直なところです。
でも筑地さんは、曖昧でなく明確にもっているんですね。
だから、それを子ども達にも言えるんです。被教育者である子ども達が
それを訳も分からず勉強するってへん。
「いいかい、みんなはね“ああ、私も結構やるもんだなぁ”て自分を褒めてあげるんですよ」
(実際本の中にはこんなセリフはなかったかも知れませんが・・)
でも、具体的に子どもをその気にさせる教育です。

彼女の「自主性を育てる3ステップ」はすごく素敵で、私のプリンシプルになりました。
①自己判断→②自己決定→③自己責任
全く賛成です。ホントに感心するばかり。

だから、私のBlogの2,3番目あたりの記事になる。
人を育てる仕事にあるものは、
「こう決まったから、こうしなさい」って口にしてはならない
ってことになるのでした。
ましてや「そうしないのならクビってことです」なんて・・・嗚呼、(花の応援団)

教育に携わるものは、もっと建設的で有効な、人を感動させる言葉を使いたい
真にそう思います。

だから、twitterやろうよ・・って話をつなげました



ノートをつくらせる

できる社長のノート、的な本、たくさんありますよね。
経営するってことにノートって大切なこと。

私は「東大合格生のノートは必ず美しい」の本には感動しました。
(ってネット上では反論もあるようだけど・・)
教員ならば読んでおいてソンはない。あぁ読むと言うより見るかな

学級担任現役の頃、「よりよいノート指導」はずっとテーマでした。
超ムズい~
どう指導すれば「良いノート作ろう」ってモチベーション上がるだろうというテーマ

娘が小学生の時、私も担任してた時とダブりますが、
そのノートを見ると、意味不明なイラストに吹き出しがあったりする。
(ああ、いけない「たり」の単独使用はNGなんだ・・まっ、もう教員じゃねえから・・)
「これはね、ワカッタ君、こっちはハテナ君」なんて言われて、
おお、我が娘よ、と感動した覚えあります。
それぞれの吹き出し、その意味。
単純なオバケのQ太郎のようなキャラ・・

あっ、いけねぇ、また娘に「なに個人情報書いてんの」なんて冷たくされるかも・・

それ、も~らい。教室で「吹き出しにキャラ作っても面白いねぇ」と。
何人かやってましたが、
「お~い、まだ描いてるか~?その後、勉強好きになったか~?」

良いノートか、汚いノートか、それは見る担任の感性によるもの。
汚いなぁって感じるノートでも、
「おお、ここいいなぁ」とか「おっ、ここお前のOriginalだね」とか
褒めてやれば多少伸びるかねぇ。

・月一恒例ノート展覧会 とか
・「よし、3分間自由に出歩き友達のノート見っこ」 とか
そんな、指導というよりも自身に感じさせる方策の方が効果あったのかも・・

まっ、兎に角、あの「東大合格性のノートは・・」の本、
指導の役に立つのは間違いない。



と、結局誰に向かった発信なのか、はっきりしないですね
嫌ですね、知ったかぶりのバカ元教員、今日引退しろ!ってか
まあ、気持ちが高ぶったとき、また書かせてください。


ただ、大人になっても、ノートは自分を育てるものだって言えるでしょう。
どんな良いノートが書けるかってのは、小学校の教員にかかっていると言っても
過言ではないのでゃないか。ガンバロー日本。

意味をもたせて学習訓練

あら嬉しい。やっぱりtwitterでつぶやくって効果あるのかな。
パラパラだけど拍手もらえて
(これ、カラオケだったら帰っちゃうだろうな。
 でもカラオケならどんなんでも拍手はたくさんもらえるし・・ 
 そうか、求めているのはカラオケ的拍手。
 中身なんてどんなんでも良いじゃん、たかがBlogじゃん)
そうか、教員という生き物は、自分の思いにちょっとでも反するとそっぽを向くんだ。
ハハ~ン、面白れぇ、逆にそっぽ向かせてやるのも一興だ。

拍手と言えば、斉藤孝さんはこんなこと言った
「授業をactiveに。そのためには、授業に拍手を採り入れる。
 友達の意見を「おう、良い意見だ」と思ったら拍手。
 これは、一番前の席の子が発表しても後ろから沸き上がる拍手。
 もらえたら嬉しいし、教室はアクティブになる。」
実践してみると、確かに間違いなく。
私はよく「うなづけ」と言ってました。
(これ、先生の話を聞くときには有効)
でもactiveじゃない。拍手、これ間違いなくactive。
授業楽しくなります。義理の拍手があっても良いじゃないか。

さて本題。
30年前、新採でM小にいたとき。国語の研究校でした。
「学習訓練」(今死語かな)の研究もした。
【話の聞き方】
 ①話してる人の方を向いて
  (方で良い。一番後ろの友達の発表、目を見て、なんて言ったら大変
   真ん中の子の発言、サービスでクルクル回るか?)
 ②手わすら(手わるさ)をしないで
 ③口をはさまずに
が必須3原則(3principle!ああ、twitter見てない人にはわからんか)

この指導は不可欠ですよ。あっ、ココまでは前の記事でも述べてるか。
原則じゃないけど、できるようになったらさらにあと2つ加える

 ④賛成できるところにうなづきながら
 ⑤大切だと思うことを指折り数えて

私は、30年前からこの指導にブレはありません。
あのときの仲間もそうだと思う。
たとえ、赴任した学校にどんな約束があろうとも・・
(よくね、話は話している人の目を見て、とか
 話は心できく、だから聴くなんだ、とか
 教師御都合主義の約束・・
 おっと、こんなこと書くとそっぽ向く奴、いるだろ?)
後の④⑤はともかく、はじめの3つは!! 必須指導です。


話のついでに・・
さっきも書いたけど「学習訓練」って死語。
今は「約束」とかいって、でも教室の、各教師の自主性でなんて、甘いもの
訓練は訓練なんだと思う。でも、「やらせる」ものじゃなくて
その意味・必要性・便宜性を理解させれば、
それは「やらせ・やらされ感」ではなくなるんです。

【ノートの色使い】
そのM小で、研究しました。
о めあて・学習問題は、青で囲む・ラインを引く
о わかったこと・大切なこと・まとめは赤で
о 自分の感想・考え・板書にないことは黄色で囲む

これは信号の色です。青は進め、進むべき目標ということ。
赤は立ち止まれ、止まって考え、たたき込め。
黄色は注意、「あっオレはこの時こんなこと考えていたんだ」ってことが分かる。
ねっ、これ色の意味、子どもにも説明できる。納得させられる。
だから、ど~してめあてが赤なんだよう、黄色なんだよう、説明できね~だろ~。

教師側の板書の約束も必要。
「センセーそれ書くん?」ってベタな、ネガティブな質問がなくなるように
私は、白チョークは基本的にノートに書くこと
色使いは上に同じ。
ただし、黄色は「先生の思い」だから基本的にはノートに写さない。

よ~く指導しとかないと、ノートに黄色で文字書く奴が出るから注意。
そんな時、バカな教員は「何黄色で書いてんの、言ったでしょ!! お話聞いてないの!」
なんて言う。大村はま先生の言葉「伝わってないのはこっちの責任」
一方的な王様気分でいる教員にありがちなこと。
言いたくなるのは、誰にでもある。でも、言っちゃあお仕舞い。
一巻の終わり。



ああ、私のBlogの記事の色分け、これ意味ありません。
これはただのカッコ、みてくれです。
みてくれだけど、見てくれてありがとう。




 

「みんな、学校で勉強するってことに一番大切な物は何だと思う?」

「みんな、学校で勉強するってことに、いちば~ん大切なこと、何だと思う?」
こんな発問(=業界用語:質問)をしてみると面白い。
1年生だって、一生懸命考えて答える。
「おうそうだね、良いこと言うね」とか適当に(この場合心からの意)相づち打って。
中には「先生の話を目を見て聞くこと」なんて答える子が必ずいる。
感動してみせる。「Oh!Excellent!!」てな調子で・・

そうなんです。この、人の話を「聞く」(聞く・聴くにこだわる人もいるけど私は別に)
ってこと、一番大切。何せ人間の赤ちゃんの最も初めの学習形態。
聞く→話す→書くが人の発達学習形態だから。

「でもね、“先生の話を”ってのは間違いじゃないけど、
 先生よりもっと大切な人がいるでしょ」
そう返す。
(すると、校長先生だの、先生の奥さんだの、○○先生だの・・「羅列か!」ってツッコむ)

「それはね、友達だよ。だって学校は友達と一緒に学級で勉強するところでしょ?」
(この辺は、築地久子の世界)
~先生より、友達の意見を聞け。先生の話を聞くために学校に来てるんじゃない。
 先生の話が大切っていうのなら、おうちでTV学校の方が良い。
「学校って所は、友達と力を合わせたり、助け合ったり、お互いに考えを言い合ったり、
 だから学校って楽しいんでしょ。みんなは、みんなでそろって、ただ先生の話を聞きに
 学校に来てるの?」

これは、教師としてもつべき「学校教育の意義」
ここをきちんと、教師自身がもってないと。
そうしないと、1時間説明ばかりの、形式指名「ハイ、そうですね」だけの
そりゃ、授業でなく講義だろってコトになる。
そりゃつまらん。

学校の教員ってのは、少なからず学級の王様だから、自分中心で子どもは回ってる
って勘違いしてるヤカラが多い。

前回の記事の、築地久子の言葉「授業は仲間づくり。仲間づくりを授業で教える」ってこと
教員はもっとしっかり意識する必要があると思う。

あっ、これ、新学習指導要領の柱の一つという「教えて考えさせる」に反感して書いています。

では、そんな授業とは・・・また明日のココロだ~
ってラジオのヤツ言ってみたかっただけ
そんな授業は、築地久子さんの授業です。あとで紹介します。





私の好きな教育実践者

勝間和代さんに悪口は言いません。
実際彼女のおっしゃること、成功者への礎だとも思うし。
(彼女の本は読まない私。でもプレジデントとかでたまに語るし、TVでもたまに出るし)
でも、彼女、本を読めと多読を勧める。そこが「俺のとは違うんだよなぁ」

私は「人の言うこと(著作でも)に自分を育てるキーワードを見つける」
が信条だから、次から次へとっていうのは・・・苦手
教員時代も、説明文指導では、(将来の一人学びを考えて)
「~て思ったところ、ココだ! とサイドライン引いときなさい」
って指導多用してたから、ポリシーが違う
(ポリシーの使い方が違うかも・・)
そういう人にはついて行かない。
(まぁ、ついてこいって言われるわけないけど)

先日、築地久子さんの絶版になった本、アマゾンで
「出品者から手に入れられる」って、1万何千円!!
すごいですね。明治図書も重版すればいいのに・・

1番に、私の最も尊敬する教師―築地久子さん
ああ、断るの忘れた「著作物」上の尊敬です。
何しろ彼女の「討論技術指導年間計画」には、すっかりはまり
それを元に私の話し合い指導は成り立っていましたから。
しかし、実際には研究授業でも、始まっても姿を現さず、
子ども達だけで授業が始まり、ふと気付くと築地は子どものそばに
いつの間にか寄り添ってる、って人
これ、付き合いづらいでしょうねぇ、一緒には勤めたくない。
でも、彼女のポリシーにはすごく感銘します。
もう好きにならずにいられない。
「授業は仲間づくり。仲間の作り方は授業で学ぶ」
これからの私のBlogの記事にも、彼女はたびたび登場するでしょう。

2番目、井出良一さん。
これは数年前にTVで登場。ちょっとしたニュース番組だったと思うけど。
だから、その出会いは神のお導き。偶然でした。
彼の受け持つ1年生のクラスの子、漢詩や論語をそらんじたりしてる。
「高校生にできるのなら、小1にできないわけがない」・・だったかな・・
彼は「スクールアーティスト」なんです。
「子どもは好きではない。でも授業が軌道に乗って、輝きだした子どもは愛おしい」

3番目、月並みだけど大村はま先生。
こりゃ大先生だから先生つけ。
晩年、と言っても亡くなり方もカッコいい。
「私はね、100までは生きられないと思うの。きっと」
とおっしゃって、100直前で亡くなられた。
苅谷さんという(昔の教え子)方が、おそばに仕えて、
彼女の言った言葉の深い意味を語る「憂愁のかなたに」(?だっけ)
は、世の教育者よ、読めよ。
2チャンネルあたりでは、彼女をバカにする輩もいるが、無視。
「だから言ったでしょは禁句。伝わらないのは教師の責任」
(あれ?これ彼女の言葉だったかな・・でも、そんな厳しさを求める教師)


この方々には、その人に惚れて、そばでその実践を見守って
その授業を語る方がいるんですね。
大村はま先生の苅谷さん
出井良一さんの梶山さん
築地久子さんの落合さん
決して、私のように知ったかぶりの自ら大自慢ではないのです。
だから、ますます信頼傾倒、大好き。

3のマジック

「さあ―皆さん、ここまで私が話したことを、3つポイントを挙げながら
 隣の人と話し合ってみてください」

斉藤孝さんの講演は何度か聴きました。
だから知っていたので、ポイントをメモして聞いているのですが、
彼はこうして講演を聴いている人に振ってくるのです。

どっちかというと,席で何かをやらされる講演って苦手なんですけど
彼の言うことには乗ってしまう。
「やらされている」のではなく「やってしまう」のです。
カツマーの「断る力」もたじたじ。
(って勝間和代さんの本は読んだことないんですけど、
 (twitterはフォロアーだけど)
 彼女の「断る力」をかじったカツマーは教員にもいて、
 上司や先輩の依頼を「断る」ことがあるって話。
 「私にはできません」って、カツマー気取り。
 教員ってのは若いうちに仕事ガンガン引き受ける、
 教員としての仕事のなんたるかを分かっていく。
 無駄を見極める力もつき、
 そして成長するって思うけど・・)

このつの視点を考えるっていうと、まず全体をみることが必要だし
その上で3つを絞るのは、おそらく「ひらめき力」
そして、3つを柱に話をまとめるのは「論理的思考能力」
これは、子ども(大人でも)に力をつけますねぇー。
小学校1年生だって、可能だと彼は言います。
いや1年生だからこそそう鍛えていくことは大切だと思うのです。
ある企業の社長さんも言ってました
成功に必要なのは右手のひらめき、左手の論理。

また、「3つのポイントで話せ」ってのは
彼の一方で言う「めあてはOutput」ってこと。
それをめざすことで、Inputは自ずとなされる、ってことなんだと思います。
教師だったら、バシバシ使いたいところです。


さて、で思い出すのは・・彼はこう言います。
「学ぶってのは、人の真似。それを繰り返すのが習う。
 だから、所詮人の言ったこと、聞いたことを書いてみることから学習は始まる。」
(聞きかじり噛み砕きだからoriginalではなさそう)
感銘するのは次の言葉
「元は人の真似でいい。それを3人の人に話しなさい。
 そして、4人目の人に話しているとき、
 それは、もう“自分の知識”になっている。」

自分の知識なんてそんなものでしょ。
私は、Blogでいろいろ語るけど、それ大方は初任者研修で
初任さんに話してきたこと。たぶん8人以上には・・少なくとも
人以上・・
なら、それはもう“私の知識”なんですね。
「なにを知ったかぶって、オレの真似じゃん」
なんて言われる筋合いは・・・
あっても出典は明らかにしてるもんね。
 


新しい教科書の反面、“指導観”をもつことの大切さ

機会があって、小3年生の国語の教科書をみる。
もう30年来「光村」のファン。光村じゃないものを使っているところに
いや、光村に限ると進言したことも・・

はぁ? ハナモゲラ・(山下洋輔)・・・な、なにぃ?
単元名は・・・どこ・・・はぁん?右下・・算用数字・・
2 読んで,かんそうをもとう・・・ってBlogのテーマかい!!

あまりの情けなさに、がっくりグリコーゲン・・・

横文字文化もいいよ、でも小学校の国語教科書だろ!!!!
なんか違うんだなぁ・・(「臨場」風に)「俺のとは違うんだよなぁ」
そのとき思いました。あっ、オイラは辞めどき間違ってなかった、って。
こんな教科書で指導するなんてプライドが許さない。

【国語観】教師にはそういう指導観ってすごく必要だと思うのです。

話はそれますが、「17歳の教科書」って本あります。
私はあれ読んだとき、改めて教科指導観をあらためた覚えがあります。


【国語観】
話すとすごく長くなりますが(ねぇ担当した初任さん・・)
一言で言えば「国語は群読指導」に尽きます。
なんだかんだとへたに読み取らせようとする授業なら、
「友だちと声を合わせてスピーディに」群読を5回やる授業の方が、よほどタメになる。

また話がそれますが、
教員は良く物語文指導で「この主題は、作者の言いたかったことは」って授業をします。
ある機会を得て、
あさのあつこ先生と三浦しをんさんの対談パネルディスカッションに参加したのですが
あるとき、自分の文章が試験問題に採りあげられ、
「作者の心情は?」と選択肢があったが、自分でも答えが見つからなかったって話。
もうおかしくておかしくて、そんな授業に心当たりのある自分にも
ちょっぴり情けなくて、おかしくて・・・
お二人がおっしゃるには、「作家は読者に伝えたい主題があって書くことは100%ない」
(あれっ?100%っておっしゃったかな・・・)

それから、「物語文」と「説明文」のそれぞれの指導パターンをしっかり確立させて、
子どもにも分からせて、いずれ読書は一人学びの世界なんだから、
そのとき役立つような指導をすべき。

読書は「目に見えない学力」、言語指導は「目に見える学力」
親は、とりあえず目に見える学力を願っているのだから、たとえば漢字指導には
工夫を重ねて、子どものモチベーションを上げて、達成感・満足感を得させるようにすべき。


指導観、実に大切なこと。
「なっ、日本語って美しいだろ?」とか
「これが、数学の美しさ、実に美しい!」とか
「社会は調べる、頭を回す」とか
「ねっ、こんな面白いことが、みんなの身の回りにあるって素晴らしいだろ」とか
「Just feel! 難しいなんて考えちゃダメだよ」(英会話)とか
「歌が心を支えてくれるんだ」とか
「もつづくりの心、日本人の心」(図工)とか
「もっとてきぱきと動けるようになるために、体育を勉強してるんだ」とか

そういうセリフを言えるだけでも、それは指導観
「センセー、何言ってるの?」なんて言われても、
「そのうち気づくのさ」とスキップ踏めばいいのです。


小2算数の研究授業指導案で
「これが三角形の美しさだと話したい」って指導観に盛り込んだら
教頭から削除のしるし。でも、書きました。
だって、それが私の指導観なんですもん





ウィリアム・アーサー・ワードの名言

素敵なのは、このアーサー・ワードさんは教育者でなく、
たしか牧師さんだったかな。
教育者なら、自分で言うか?ってなりそう。

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

月並みな教師はただしゃべる(教えるって訳す人も)。
よい教師は説明する。
優秀な教師は自らやってみせる。
・・・
そして下線の言葉、どう訳すかですよね。
ググってみると、大方「インスピレーションを与える」か
「子どもの心に火を点ける」か

私は、twitterにも書きましたが、
“inspire”は、点火。やっぱり
「子どもの心に火を点ける」でしょう。
きっと William Arthur Wardさんに聞くことができたら、
きっと賛成してくれるんじゃないか。

この言葉は、出合った瞬間に私のポリシーのようになりました。
教員だったら、誰でも。少なくとも反対する人はいないと思う。
でも、カッコつけて指導主事なんかも口にするんですね。
一方では「教えて考えさせる」が新指導要領の柱なんて言ってるくせに。

私は、この「教えて考えさせる」が信じられないんですね。
だって、「予習」させるんですよ。小学生で。
それを提唱する方とは論議拒否、声を聞くのもいや。
だって30年の私のポリシーを崩すことですもん。

あ~あ、Arthur Wardさんの“inspire”の話、
19世紀に戻って聞いてみたいなぁ。

Arthur Ward-
"If you can imagine it, you can achieve it;
if you can dream it, you can become it."
「イメージすればそれは創られる。そして、夢に持てれば生きる糧となる」

ググる(Googleで検索する)と、彼の名言、染みるのがあります。
きっと、彼は自分で残しているのではないでしょう。
彼の教会で、教えを受けた人が残しているんでしょうね。
そういうのって、すごく素敵。



一見関係ない、ってところから攻める

先ほどの記事に関連して。
ガクさんは、いつの間にかあのクラスを立ち直らせた
と私は思う。その方法は・・
「さよならの時、机いすをきちんとそろえる」
にあったんだと確信してます。
そのわけは、先ほどの記事の通り。

一見、そんなことが、って思うこと
案外因果関係にある。

モジュール制をとっている学校ありますね。
きっと、子ども達落ち着いていないんじゃないか、って思う。
一昨年、「モジュール止めちゃえば」って言ってみたんです。
「そんなの関係ないよ」と一蹴され・・
(あっk小のことではありませんよ、k小の時にはあきらめていましたから)

ある学校で、モジュールを取り入れるかって話題?議題?に出たとき
O校長先生は、「あれは教師側の都合で、子どものためじゃないから」
って一蹴したそうです。
あ~気持ちいい、だって私が止めちゃえって提言した人の案だったから!!

私、本気でモジュール制嫌い。信じられない。15分刻み。
どう見ても、どう説明説得されても、「子どものため」じゃないと思う
45分は、歴史が実証している授業時間
教師はこの45分でどう勝負するかが教師の醍醐味・Identityなんでしょうが!


「百マス計算」 あれやり方さえ間違わなければ、力つきますよね。実証もされているよう。
でも私は、提唱者陰Y先生は、モジュール賛成論者だって知った瞬間
“百年の恋も一時にして・・”でした。“袈裟が憎けりゃ坊主まで憎い”って・・

教員ってのは、AそのためにはBってのが、目に見える線で繋がっていないとダメなんですね。
かく言う私もそうだったと反省するところはあるのですが・・
近年、教育界にも「脳科学」を採り入れるようになり、って、たぶんの話なんですが、
(途中解説略・って言うか不能・勉強不足)
「そんなこと、関係ない」って一蹴できないことが分かってきています(完全自己都合主義)

こうしたい、では・・って言うとき、一見関係ないだろってことも仮説に加えるべきです。
「研究ってのはね、仮説検証なんだよ」
ちょっと話が跳んでしまいましたが、
述べてきたように、一見関係ないってことも仮説に立ててみようってこと
案外大切なのではないで消化、できてるかなこの話・・・




小さな行動を“習慣化”させると

3年間の初任指導生活で、何校もの学校に勤務していましたが
好んで(嫌な奴)その学校の昇降口を探検していました。

教師は「下駄箱の靴をきちんと入れなさい」とよく指導します
1年生では図に描いてまで
でも、そんな小さなことは言い続けることが難しく
ついついだんだん指導の範疇から遠のく

でも、3年間の訪問でやっぱりと思うのです
「下駄箱の靴が気持ちよくそろっているクラス=良いクラス」
なのです。良いクラスというのは
・人の話が聞ける ・手が良く挙がる ・前向きな意見がでる
・楽しい雰囲気をもつ ・男女の仲がよい etc.の1つでも備えたクラス

だから初任さんには、根気よく指導を続けるようにって話します。
といっても2,3ヶ月。あとは希にでいい。

これは脳科学で証明されると思うのです。(以後はプレジデント記事からの類推)
おおよそ心とはタマネギ構造であって、
その中心にその子(人)の「資質・本質」があって、そこはおいそれと変えられるものではない。
その周りに「習慣」がある。
そしてその周りに「行動・考え方」がある。
この「行動・考え方」の部分は、人の話や読書から影響され、変えることが意外とたやすい部分。
その「行動・考え方」に作用が続けば、やがて必ず「習慣」が新しく改まってくる。
すると、それは「資質・本質」を動かすことになる。

だから「下駄箱の靴をきちんと入れる」指導(=「行動・考え方」への作用)を根気よく続ければ
やがて、言われなくてもそろえて入れるようになる(「習慣」への作用)
さすれば、その良い習慣(できていると人から褒められる)は必ずその子の「本質」の部分に届き、
いつの間にか、前向きな行動のとれる子どもに育つ。

懲りずに指導をしていると、1学期末の懇談会で
「センセー、うちの子、うちで靴をちゃんとそろえて脱ぐようになったんですよ」となります。
(そんなことねぇーよ、ってのは、オメーが途中であきらめたからだよ)
あんなマイナス発言でネガティブだった子が、いつの間にか友達を思って行動している
となるのです。

何だよ、お前のクラス、そうだったのかよ、と友達はいうかも。
あぁ、このことに気付いたときはもう学級担任じゃなかったんだよ。

研究授業でY田教育長を玄関でお迎えしたとき、
「今日の授業のU先生(晴chan、君だよ)のクラスの下駄箱はこの辺ですか?」と
私はどきっとして「あっ、ああ、ここです」
私もクリビツ、気持ちよくそろっているんです。
気持ちよくってのは、作為が感じられないってこと。
「これは、授業を見る前から、絶対良い授業をされるってわかりますね」とY田教育長。

Y田さんは、それはもう伝説に残る素晴らしい教育者ですから、もう当時から
分かっていたんでしょうね。見抜く目をお持ちだった。
Uさんの授業、それはもう言うまでもありません。

「下駄箱の靴をそろえよう」「さよならしたら机いすをきちんとしよう」
「日直の号令にはピッっと反応しよう」etc.何か一つでいい。
言わなくてもできるまで。耳たこで。
「さて、下駄箱の・・」「分かってるよ先生、きちんとそろえたか?でしょ」

それが「習慣」にまで届くと、思ってもみなかった様々な良い面が育つ。
「いいクラスだねぇ」と褒められる。
私はその「実証」を多く目にしています。


ア~アくどくどしてるねぇ。この文章の書き方は、教員にありがちなもの。
自分が呪わしい。もっとスーとSmartな文章が書けないとなぁ・・
頑張ります。





グズの大忙し

プレジデントの特集で、一番頭に残っています
結局、愚図な奴ほど「忙しい」と口にする

оどうせ誰かがやるのなら、今私がやってやろうという挑戦心を持て
о時間の使い方も効率について考え込むくらいなら、感覚的なアイデアを出せ
оこれはダメだ、と思ったことは理屈だけでは説明できない
о優れた経営者は直感力に長けている
  そうした感性やひらめきは、四方八方から刺激をうけてこそ磨かれる
о理屈だけでは人は動かない、多忙を理由に動かない人では組織は動かせない
о自分の行動の基準<ex’これは自分を育てるのに役に立つ>を持て

そんな感性を身につけようとすれば
「忙しい」というセリフをおいそれと吐かない人間になれる。
というような特集だったと思います。

中でも、今も心に残っていること
「仕事を洗い出し、書き出してみる。
 そうして10の仕事があれば、これと思うものからやっつけていく。
 するとあら不思議、3つ4つ片付けると、残り7つほどは
 自然に解決していることに気付く」
それは、「自分が必要と考えた仕事の中に、無駄が潜んでいたのだ」
だから、「仕事にはリミット(時間的量・必ず5時までとか・・)を設ける。
     すると、ポイントを絞って仕事をこなせるようになり、
     仕事の中の無駄がよく見えるようになる」
→「忙しい」というNegativeは無くなり、口に出すこともなくなる。

なんかよく分からんけど、そんな意識をもてば
気安く「あ~忙しい」なんてみっともない言葉消えるかもって思いませんか。
私はこの特集を読んだ当時、そんなことを思った覚えがあります。


夕べ、尊敬する友人(先輩)O小の中Yさんにお会いしました。
「オレも教務時代、相応忙しさを感じていたけど、
 オレなんかより中Yさんの方が倍は忙しいだろう、と自分の
 モチベーションを立たせていました」
と告白しました。
彼はもちろん軽々しく「忙しい」なんて口にする人ではありません。


教室から「やらされ感」をなくそう Ⅱ

おぉ、ありました。この原稿。
副題に「MUSTからWANTへ」です。
カッコいいけど、この副題の出典はプレジデントの記事だったと思います。

①めあてをやる気の出る言葉で出す
 授業で一番大切なことは何か、と言えば
 本時の「めあて」を明らかにする(板書する)ことです。
 めあてとは、遠足の目的地のようなもの(By築地久子)
 それがなければ、バスは校庭をぐるぐる回っているだけ(By同上)
 <築地久子さんは目標とすべき最も尊敬する教師:これからも出すと思う>

 斉藤孝さん<最も敬愛・信頼すべき教育学者>は言います。
 めあてはOutputをめざすべき。さすればInputは自ずとなされる。
 研究授業と称した授業。本時のめあては「~を知ろう」
 がっかり。 たとえば「~を説明できようにしよう」とか
 教材研究で最小必要なことは、この「本時のめあて」の言葉でしょう。
 
②係と当番の違いを教師はきちんと把握する
 これは持論で、昔特活の研究をしている頃思い知らされたもの
 当番:学級になくてはならない。存在して学級は動く、という仕事
 係:あってもなくてもよい仕事。でもあればクラスは楽しい明るいやる気が出る。
 そして、この係活動をうまく運営させられれば、学級は何につけ前向きになる。
 係は、会社を経営するように運営させる。~係ってしないで、会社の名前を考えさせる。
 (落とし物係を○×探偵事務所ってした例をtwitterに書いた)
 みんなからありがとうとか楽しかったとか言われれば、会社の“儲け”
 たくさん儲けて、会社をやりがいのあるところにする。
 1年生だって、やればできる。ましてや、高学年は意欲的になる。
 上学年になって、窓係だの電気係だの保健係だの・・
 「何?目の前にけがをした子がいるのに、まず係の子を探すのか!?」
 そんなん、ねえだろ。

③言われて嬉しくなる言葉を書いて貼りだしておく
 時々学級活動(昔の学級会)でこのことを話題に話し合う。
 とまで言わなくても、「オレは○○さんに~って言われて、嬉しい気持ちになった」
 って堂々と発言できる機会を設ける。
 「おぉ、そうか、みんなもそういわれれば心動くか?
  よし、○○お前の口から出た言葉、素敵だ」
 短冊に書いて貼りだしておく。
 月並みだけど「ありがとう」「一緒にやろう」・・・etc.
 ちょっと照れくさい言葉でも、「みんなでたくさん口にする」って目標にしておけば
 結構飛び交うようになる。
 すると、自分の思いを言葉にすることに慣れ、授業中の意見も多くなる。

ったくね、理想論ぽいでしょう。でも理想だなんてばかり思っていると、
結局それは単なる理想で終わってしまう。
築地久子は子どもにこう言うそうです
「A子さんは堂々と意見が言えていい。オレもそうできればなぁ、ってそう思うでしょ、
 でも、いいなぁと頭で思っているだけでは決して実現しない。
 実行しなさい!! 真似してやってごらんなさい」
これは、こうやらせているのですが、決して“やらされ感”を植えるものではありません。
やってみると、案外できるもの。そういう体験を子どもさせるには、
まず教師がやってみることが始まりなんじゃないでしょうか。




 

教師としてのIdentity<存在証明>

カッコいい、使ってみたい言葉“Identity”
あの「ボーン・アイデンティティ」から、Identityを使うようになった気取り屋です
あぁ、一昨日にもちょっと使っています
でも同僚との会話では使いませんよ。初任さんの研修記録の中で使ってました。
嫌な指導者ですよね。

「今、どうして、何をしたくて、目の前の子どもたちをどうしたくて、
 子どもたちの前に立っているのか」
その意識が、私は即ち教師の“Identity”だと思うのです。

昭和の大教育者といえば、同郷の齋藤喜博でしょうか、大村はまでしょうか
二人とも厳しい人ですが、その著書から、私はIdentityを感じていました。
教員としての一本の芯みたいなもの。それを持ってないようなら、
教員なんて辞めてしまえ、資格がない。
とまで二人はおっしゃいます。

初任者指導の仕事は、受け持ちの初任さんを辞めさせては
それこそ資格云々の話になってしまいそうですから、
(あっ私は12人担当しましたが、皆元気・・だと思いますよ。誰も辞めていません。)
そんな厳しいことは・・あれっ言ってたかな・・・

「オレのIdentityは単純、友だちの役に立とうとする子どもに育てたい、ということ」
ってなコトを言っていたと思うんですが・・・
「すごいよ、今君の言ったことは、すごく友だちの役に立ったと思うよ」とか
「もっと友だちの役に立ちたいと思うことが、今のお前には必要」とか
そういう台詞を自然に吐きたい。そう吐けるようにしたいと意識できること
それが、私の思う「教師としてのIdentity」

ちょっとカッコだけの文章になっちまったので、この件については
また述べる機会をつくります。
さて、今日はこの辺で・・

遅まきながら、プロフィール掲載

あはっ、やっとどう更新するのか理解し、プロフィール掲載しました。
写真は30年前焼きもの修業時代の作品。
最近は、置物系より器系
だから、小生のことは「うつわびと」と呼んで♡
おっとそれは、小野哲平さんだ。

食の器、花の器、明かりの器・・
いずれ「天の器」とでも称して骨壺も焼きたいなぁ

そもそも作陶は定年リタイヤ後を予定してたんだけど
窯購入のために「シンリュウ(株」の上嶋会長さんとお話しさせていただいていたら
もう昔の夢押さえきれずに再燃焼
また、最後の勤務校で、30年前の焼きもののお師匠様・石川民治先生の笑顔の写真や
碑に刻まれた書に触れたとたんに・・・

30年オレは努めた、残り人生の30年は30年前の夢をよみがえらせ、
追い求めてもいいだろう・・実に勝手なリタイヤ
でも自分的には実にハッピーリタイヤメント

夢があるから生活は楽しい
「夢を持てばきっと挫折も乗り越えられる」
これモーガン・フリーマンの“最高の人生の見つけかた”からの台詞
そうそう、私の座右の銘は「人の言葉に自分を育てるキーワードを見つける」です^.^

見てくださった方、ありがとう。 また来てね♡

仕事は前倒しでやっつけて2、3日寝かせる

特に学期末ですが、初任さんにはそう話してました。
友達はお前に言われたくない!と言うかも

画面だけに向かっているときのアイデアなんて所詮机上のもの
締め切りにやっと間に合うなんて、誰にも経験あるでしょうが
なんか心残りなんですね。
心残りどころか「kさん、急いでここ直して送達して」なんてこと
しょっちゅうでした。

エ~イ、仕事 全部1週間前倒し計画!
退勤も定時をめざして、始まりからの計画でなく終わりからの計画
定時に帰るためには、その前2時間でこうして、昼過ぎにはこれ、
よし午前中にやることはこれだな、と洗い出し、付箋に書き出して
って仕事を心がけます。

定時に帰る。本屋に寄る。スーパで買い物をする。百均をうろつく。
そんなことで、ふと改善点が、アイデアが降ってくるってこと多い。

三木谷さんだったか誰だったか、アイデアは会社の中では生まれない
って言っていたのを見て、そうなんだよなぁ、と感銘したことがありました。

教員は学校に居すぎる。
「子どもが帰れば仕事も一段落なんでしょう?」と言っていた保護者の言い分。
それも一里あると思う。
学校の仕事は家に持ち帰らない、なんて言いながら、学校では無駄話ばかり
なんてことあるし。
定時までにどうしても終わらない仕事、私はお持ち帰りでした。
起案書なんて家のパソコンの前のほうがアイデア湧いたし。

教室から「やらされ感」をなくそう

教室から「やらされ感」をなくす
これいいよね。
元は、・・詳しくは忘れたけど、会社経営コンサルタントだったか企業経営者だったか
「会社からやらされ感を追放する経営努力」だったと思います。

会社だって学校だって学級だって、みんな経営なんですよね。

だから、その経営理念は一般の一流の企業に学ぶべきだろうと思うのです。
たとえば、ビジネス誌“プレジデント”
その視点から編集されている記事は、眼からウロコのキーワード 結構ありますよ~
私は教員退いたので、定期購読も止めてしまいましたが・・・
今後はコンビニで見て、気に入った特集の時に・・と思いますが

具体的に言うと、学級の「係活動」の時に一番発揮できます。
「いいかい、係ってのはね、学級生活には絶対必要ってモンじゃないんだよ、
 でも、あればクラスが楽しくなる、みんなのやる気が湧いてくる・・・」
そんなコトを言って、『会社を経営させるように係を運営させる』
友だちの役に立つ、楽しい気持ちにさせるってことで『会社を儲けさせる』
係の名前も会社の名前
私は、もう30も半ばになっているだろう教え子が
「落とし物係」を「○×探偵事務所」ってネーミングして大喝采浴びてたあの時が忘れられないのです。
「保健係」「電気・窓係」「くつ係」「チェック係」・・・
そんな会社、つぶれてしまえ!!

やっぱりくどくど批判的。ダメですねぇ。これ教員根性なんですね・・・
夜に書くのは、やっぱり止めよう・・なるべく・・・

すべからく勉強・仕事は「挑戦意欲」

挑戦意欲と言う言葉は、私の偉大なる恩師 故・加藤信二先生がよく口にされてた言葉
私は、その教えを「モチベーション」と言葉を換えて初任さんたちに話していました。

昨日 林香君さんの講演会で「inspire(子どもの心に火をつける:ウイリアム・アーサー・ワード氏の
言葉“(前略)The great teacher inspires.”のinspireの訳で一番好きな訳)」
という言葉を聞きましたが、この「インスパイアー」も同意の素敵な言葉ですね。

すべからく、子どもたちの勉強も大人の仕事も、一番大切にすべきは
「やる気:挑戦意欲:モチベーション:インスパイアー」を与えるであって、
教師のアイデンティティ<存在証明・証し>=「どうして、何をしたくて、今私は子どもの前に立つのか」
の答えはそこにあると思うのです。

間違っても「こう決まったからこうしなさい」というのは、
人を育てる立場にある人には禁句にしてほしい。
そういわれて「ハイ、分かりました!」なんて言う人を育ててはいけない

これは私の教員としてのポリシーでありましたから、
「今度こんな法律ができたのでこうしなさい」といわれ
その議論も拒否され、そうしないのならクビです、とまで言われたのでは
教師としての Identity は無くなってしまう

あれっ?なんか入口と出口が合わないか?

まっ、こんな風にブログでは、言いたいことを「述べていこう」と思うのです。
でも、もっと取っつきやすく、シンプルに。
そうそう、タイトル・テーマをつけて、それを意識して・・あっこれ独り言、、、




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923工房 ブログデビューです

2011/05/17 ついにブログデビューです。

友達にはHP立ち上げるからね、なんて宣伝していたのですが・・
きっと開いたあなたも・・
「何だよBlogかよ」なんて・・

申し訳ない、・・<言い訳・略>・・てなことで
まずはブログのデビューに愛の祝福を!!

実はtwitterでは先にデビューを果たしていて、
もちろんツイートは続けるのですが
140字の世界から大きな空へ!
twitter→Blog→HP と進化を続ける今後に、乞御期待

と言うことで、今日はこの辺に
プロフィール

923kobo

Author:923kobo
1957/3生 
群馬県邑楽町在住 
20代に作陶修行後、
栃木県教員生活を経て
再び作陶家を目指す

本邦初 焼きものの
移動販売始めました
毎月1日・17日
第1日曜・他
 地元邑楽町
 石打こぶ観音様境内

月~金曜:工房にて作陶
週末は
<青空個展>主催の
 東京都内のイベントや
高崎・藤岡辺りのイベント
または上記の
こぶ観音様出店

2月/8月には
洋画家の友人と
『二人展』を開催

コンセプト:
「うつわも楽しむ文化のため
 の楽しめるうつわの制作」

趣味:jazzを工房にかける
   on twitter「923工房」
   男の厨房
   愛犬ラブと朝散歩

「仕事が暮らし、
  暮らしが仕事(^^)」

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